2016年2月16日火曜日

澤ちゃんへ

なんとも信じ難いことって起こり得るんだなと、つくづく感じたよ。あの3.11の大津波にのまれながらも一命をとりとめ、おもっさげねくもらった命を無駄にしないように、それからは何かとアクティブに行動してた矢先だった。昨年の12月に一緒に飲んで今年の8月21日にやっぺ!と約束したのに。

澤ちゃんは僕が小学生からお世話になっていた人物。
とりわけジャズイン浄土の時の司会をやっていたのが特に印象的だったけど、山のマスターこと豊沢弘さんの岩舟の山の看板も一緒に作ったんだよ。看板の文字は当時の僕がパッとひらめいて浮かんだ言葉。

STAIRWAY TO HEAVEN

とにかく思い出がありすぎてどうしたらいいのかわからないけど、震災後ZEKで宮古でチャリティーライブをやってそして僕が美由貴と結婚してからというものの、ものすごく澤ちゃんと近ずいた気がしたんだ。僕がそんな年齢に近づいて来たこともあると思うけど、このFACEBOOKでも的確なコメントにいつも襟を正される思いでした。それとここで書いてる僕の文章を褒めてくれて、面白楽しく読んでるのを、あの奇をてらったところが全くない純真無垢な笑顔で言ってくれたのが嬉しかった。新聞にコラムを書いた方がいい、とまでいってくれたね。それと「珠也は宮古市民だ!」と人間に非常に厳しい澤ちゃんに認めてくれたのも心から嬉しかったよ。

そんな澤ちゃんが2月13日に旅立ってしまった。
今頃オヤジとガチで呑んでるだろうな。いや絶対に呑んでるにちがいない。オヤジと澤ちゃんは兄弟みたいだったしね。な?オヤジそうだろ???

しかし澤ちゃんのようなアクティブでパワフルな存在が宮古を動かしてきたのは事実だ。毎日のように(多分)朝早くから宮古周辺の人事ネタから結婚式の撮影などなどあらゆる取材をし、宮古の底辺から支えてきたきた人だ。宮古の市長は知らないけど澤口功なら知ってる。澤ちゃんが宮古を支えてきたんだ。
またこのような公的なSNSを駆使して宮古を紹介してきた。でも、もうあの「もろ」宮古弁の語り口でバッサリ切り込んでくる
澤ちゃんのような存在は宮古にはいない。あんなパワフルな人間にしてあのキャラクターは宮古には存在しない。だから心配である。宮古が。

いつものように1日が始まるけど、澤ちゃんがいない1日といる1日がどれだけ違うか。それだけ大切な人だった。本当に残念でならない。これからもっと澤ちゃんと結束してもっともっと楽しいことを宮古で実現できた。もっと宮古弁も教わりたかった。もっと澤ちゃんなりの人生について伺いたかった。うちだてでもっと「としる」でも食らいながら語り合いたかったよ。

あまりにも唐突すぎるよ澤ちゃん。まったく。
おばあちゃんもびっくりしてるよ。「もう来たの!?」ってね。

しかしこればっかりは仕方ないよな。逝っちまったんだから。
残された僕らでなんとかするしかなんだからな。

でも本当にほんとうにほんとうにほんとうに澤ちゃんありがとう。楽しい時間をありがとう。大変な震災を生きながらえて、自分が生きていることに不条理を憶え、それでも明るく逞しくそして厳しく生きてきた澤ちゃん。大好きだよ。そのうちいつか会えるけど、それまで酔い潰れないでよ。こっちが行くまで。それじゃあねぇ!



本田珠也